皮膚科医 中島知賀子

お肌がくすんで見えるのは、
     1、汚れの蓄積によるもの
     2、乾燥によるもの
     3、古い角質によるもの   が大きな要因となります。

FactorXは角質層に浸透し、くすみのもとになる古い角質層にうるおいを与え、
くすんでいるお肌を明るい印象へ導きます。

また、全成分の中に水の表記がないことにご注目ください。
配合成分・配合比率には徹底的にこだわりました。

肩書

  • 医療法人社団彩祥会 理事長
  • AIM Beauty Medical Clinic 院長
  • 中島皮フ科 勤務
  • medical 4 men clinic 勤務
  • ヒト幹細胞培養液認定協議会 理事
  • 公益財団法人 感染症差別防止団体 審査委員長
  • 日本皮膚科学会 所属
  • 日本抗加齢医学会 所属

経歴

1995年3月 北里大学医学部卒業

1995年4月 日本医科大学付属病院 皮膚科入局

1998年1月 中島皮フ科を開院

2018年11月 美肌サロン produce by NAKASHIMA HIFUKAを開業

2019年8月 ヒト幹細胞培養液認証協議会の理事就任

2020年3月 AIM Beauty Medical Clinicを開院

2021年2月 medical4men clinicを開院

皮膚科に留まらず、美容医療、メディカルエステ、メンズ専門のアートメイク、化粧品やサプリの開発・販売など、ビューティー&ヘルスをトータルで提供。
美容医療においても、いち早く 20 年以上前から導入している業界でも先駆者。
働く女性の自立支援を行うためのメディカルエステ店の多店舗化を目指している。
また、最近話題のフェムテックにおいて、“膣から美肌®”という新しいアプローチ法を提唱。

【中島 知賀子ってどんな人?】

三重県で生まれ両親と姉の 4 人家族で育ち、小学生のときに東京へ引っ越し。何でもこなしてしまう姉と厳しかった母に認められるよう、人一倍忙しくしながら取り組む。開業した 27 歳は結婚・出産後の間もない時期、いつも忙しくすることを選んでしまう性格。皮膚科医師になった経緯は、学生時代の臨床実習で他の科と違い、医師が診ただけでズバッと方針が決まっていく皮膚科に興味を持ったのがきっかけ。苦手だと思っていた手術も実際はとても興味深く、大学入学時は小児科医師を目指していたが方向転換して皮膚科を専攻。2 年間の研修を終えてすぐの開業であったため、当時は右も左も分からない状態で非常に忙しかったが、母の協力もあり生まれてきた双子の育児をしながら仕事をこなす。一時は仕事を続けることができずにクリニックを離れたこともあったが、変わらずに迎え入れてくれた患者様やスタッフたちのおかげで、心から感謝しながらあたたかく笑い声の絶えない診療を続けている。

【中島先生の医療理念】

「美」はコミュニケーションのスタートにとても大事な要素です。そのとても大切なスタートに「美」を提供することで、一人一人の人生に貢献します。
「見た目が勝負」という言葉があります。「嫌々中身が大事」と多くの日本人は考えますし、私たち日本人はそのような文化や考え方の中で育ってきました。
しかし実際には、物事はすべて第一印象で判断され、その印象は長い間引きずられます。
その後のお付き合いで変わっていくとしても、最初の印象は大きな壁であり、少しずつ突き崩していかなくてはなりません。第一印象によって、選択の輪からこぼれてしまうこともあります。
中身が同じなら、人はほとんど見た目の良い方を選ぶからです。
肌がきれいになるとうれしくなり、心から明るく笑顔になれます。
「あらゆる皮膚トラブルの解決により、一人一人が潜在能力を発揮できる社会を作る」ことをミッションに、肌だけではなく、心も体もきれいになるサポートを心がけています。